第二次世界大戦末期、戦況差し迫る京都を憂慮し、見納めになるかもと寛次郎は毎日のように夕方になると清水辺から阿弥陀ケ峰にかけての東山の高みに上っていたと記しています。
「この世このまま大調和」と悟ることにつながった言葉を閃いた場所だと寛次郎自身が述べている周辺の風景です。(新日吉神社鳥居付近)
これは河井寛次郎 Kanjiro KAWAI (1890−1966)の言葉として良く知られるものの一つですが、この言葉を悟った経緯が「蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ」に書かれています。
以下、引用しますと「その日もまた警報がひんぱんに鳴っていた日でありました。私は新日吉神社の近くの木立の下のいつも腰掛ける切株に腰掛けて、暮れて行く町を見ていました。」と書いています。
正確な場所は定かではありませんがきっと上の写真の様な風景を見たことと思います。
以下については是非「蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ」 (講談社文芸文庫)を読まれることをお勧めします。
新日吉神社のスダジイ
今熊野に残る窯場の煙突