南蛮寺跡付近(サンタマリア御上人寺)
京都市中京区蛸薬師通室町西入姥柳町
フランシスコ・ザビエル(1506~52)は天文18(1549)年に薩摩に上陸後,天文19年12月(1550)に堺を経由して京都に入りました。しかし滞在僅か11日間で京都を離れました。実際に京都での布教を開始したのはガスパル・ビレラであるそうです。この時期のキリシタン遺跡としては墓碑、鐘などが現存していますがそれ以外の遺跡の多くは江戸期の禁教によって破壊されました。
自転車で京都市内中心部の南蛮寺跡などを巡り往時を偲んでみました。
天正4(1576)年に和風三階建のキリスト教聖堂がこの地に建立されました。
伝狩野元秀「洛中洛外名所扇面図」にもこの南蛮寺が描かれています。
天正4年7月21日,オルガンティーノがこの南蛮寺でミサを行ったとの記録がフロイスの『日本史』に記されています。
だいうす町跡
京都市下京区若宮通松原上ル菊屋町
キリシタン寺院があったと推定されています。
「だいうす町」は,デウス(天主)町のなまったものといわれ寛永年間に出版された「平安城東西南北町並之図」、慶安版・寛文版・元禄版・寛保版などの「京大絵図」にも「たいうすのづし」とか「大うす丁」との記載があるそうです。
だいうす町跡
京都市下京区岩上通四条下ル佐竹町
この地もキリシタン寺院跡があったと推測されています。
慶長天主堂跡
慶長9年(1604年)頃この地に耶蘇会の天主堂教会がありました。
しかし慶長17年(1612年)徳川幕府のキリシタン弾圧により焼き払われたとのことです。現在、石碑が建っています。
だいうす町跡
貞享3(1686)年刊の『雍州府志』に一条油小路と堀川の間を「大宇須辻子」と呼ぶと記されているそうです。
京都市上京区油小路一条上ル西入ル